ダニエル・マッコイさん [常時の静事(考える話)]
1995年・・・
腕を骨折して入院した際に、となりのベッドの方が
上智大学のダニエル・マッコイ名誉教授
(キリスト教神父)でした。
教授は人工関節をヒザに埋め込む大手術を
終えていました。
その後、私が手術直後の夜に
ひどく腕が痛んで眠れなかった時・・・
となりのベッドから教授が飛び起きてきて、
「痛むのか?」と聞いてる様子でした。
すると何やら小さい容器に入った透明の液体で
私の腕にギブスの上から十字架を描き、
手をかざしてお祈りを始めました。
不思議と痛みがおさまっただけでなく、私は
しゃべれるはずもない自分の母国語ではない言葉で
教授と会話していました。
あんなに高齢な方がベットから飛び起きてきて
あんなことをして、さらには不思議な現象が起きたのを
当時は全く不思議な出来事とは思えませんでした。
それは実際に起こった事だったのと、間違いなく
パワーが 『本物』 だったからでしょう。
教授あてに私の父が書いた手紙が出てきて
思い出しました。
ダニエル・マッコイ神父、
本当にありがとうございました。
上智大学の資料で調べてみると
以下の記述が確認できました。
戦後の焼け跡の孤立悄然とした中で「日本の再建に携わるイエズス会員が必要だ」という要求が、アメリカだけでなく全世界を駆け巡った。1947年11月には、ジョン・ブルウェット、アロイシャス・ミラー、ロバート・フォーブス、ダニエル・マッコイの4神父が第一陣として上智大学にやってきた。ブルウェット神父は教育学科で、フォーブス神父は英語学科で教鞭をとった。ミラー神父は英文学を教え、また国際部の設立にも尽力した。マッコイ神父は生物学の授業を担当した。その後は全世界から多くのイエズス会員が上智大学に派遣された。第7代学長ヨゼフ・ピタウ神父、第12代学長ウィリアム・カリー神父などのイエズス会員が派遣され、上智大学の精神的な発展の支柱となった。
・・・2006年9月24日に
亡くなっていたこともわかりました。
お悔やみ申し上げます。
マッコイさん、あの世でまた
お会いしましょう。
ありがとうございました。
腕を骨折して入院した際に、となりのベッドの方が
上智大学のダニエル・マッコイ名誉教授
(キリスト教神父)でした。
教授は人工関節をヒザに埋め込む大手術を
終えていました。
その後、私が手術直後の夜に
ひどく腕が痛んで眠れなかった時・・・
となりのベッドから教授が飛び起きてきて、
「痛むのか?」と聞いてる様子でした。
すると何やら小さい容器に入った透明の液体で
私の腕にギブスの上から十字架を描き、
手をかざしてお祈りを始めました。
不思議と痛みがおさまっただけでなく、私は
しゃべれるはずもない自分の母国語ではない言葉で
教授と会話していました。
あんなに高齢な方がベットから飛び起きてきて
あんなことをして、さらには不思議な現象が起きたのを
当時は全く不思議な出来事とは思えませんでした。
それは実際に起こった事だったのと、間違いなく
パワーが 『本物』 だったからでしょう。
教授あてに私の父が書いた手紙が出てきて
思い出しました。
ダニエル・マッコイ神父、
本当にありがとうございました。
上智大学の資料で調べてみると
以下の記述が確認できました。
戦後の焼け跡の孤立悄然とした中で「日本の再建に携わるイエズス会員が必要だ」という要求が、アメリカだけでなく全世界を駆け巡った。1947年11月には、ジョン・ブルウェット、アロイシャス・ミラー、ロバート・フォーブス、ダニエル・マッコイの4神父が第一陣として上智大学にやってきた。ブルウェット神父は教育学科で、フォーブス神父は英語学科で教鞭をとった。ミラー神父は英文学を教え、また国際部の設立にも尽力した。マッコイ神父は生物学の授業を担当した。その後は全世界から多くのイエズス会員が上智大学に派遣された。第7代学長ヨゼフ・ピタウ神父、第12代学長ウィリアム・カリー神父などのイエズス会員が派遣され、上智大学の精神的な発展の支柱となった。
・・・2006年9月24日に
亡くなっていたこともわかりました。
お悔やみ申し上げます。
マッコイさん、あの世でまた
お会いしましょう。
ありがとうございました。
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